深い思考を促す教科横断の問い(数学×政治・経済,倫理)
くじの当たる確率
数学に「確率」という単元があります。ここでは例えば次のような問いかけがされます。
3本のくじがあります。このうち1本が当たりで,2本が外れです。3人が順にこのくじを引きます。引いたくじは元に戻しません。 1番目に引く人A 2番目に引く人B 3番目に引く人C あなたなら,A,B,Cのどれを選びますか。 |
例えば3回引いてみて,A,B,Cそれぞれが何回ずつ当たりを引いたかを記録します。 3回なら,A,B,Cが1回ずつ当たりを引くとは限らないが,30回,300回,3000回と増やしていくと,ABCの当たりを引く回数が近づいていくと考えられます。 確率の計算では,何番目に引いても確率は同じという結果になります。・・・と,ここまでだと,数学の学習としてよくあるもので,Iレベルの学習といえます。
確率から関連付けて,宝くじの期待値もよくとり上げられます。他のギャンブルの割戻し率と比較させるとCレベルとなり,他のギャンブルと比べて決して高くない割戻し率なのに人々はなぜ宝くじを買うのかなどを考えさせると,Eレベルにもできるでしょう。
本当に順番は関係ないのか
さてここに,倫理や政治・経済の視点を加えてみます。確率の計算では,何番目に引いても確率は同じという結果になりますし,実験でも確かめられますが,しかし実際は,同じ「くじセット」を繰り返し使っていると,くじの棒の細かい傷や模様から,どれが当たりかが分かるようになってくることがあります。すると引く順番が固定されていればAが有利になるかもしれません。Aが当たりを引いてしまうと,B,Cは当たりを引くことはできなくなるからです。これに相当するようなことが,世の中にはあるのではないでしょうか。社会の中で「Aが有利」に相当する事象にどんなものがあるか,を考えさせるのです。例えば,形の上では公募制をとっているように見えて(見せかけて),実際には限られた人や組織や企業しか参入できないしくみがあるかもしれません。
では,Aが有利ではなくするためにとられる施策にどのようなものがあるか。 あるいは,当たりが1本だけと知らせないこと,当たりを増やすこと,などが,どんな事象が相当するか。そもそも,Aが有利でないことは,絶対に必要なものなのか・・・。
もともと数学は,現実にはありえない条件がそろっていたとして,その条件ではどうなるかを論理的に考えるものです。図形で,線の太さはないものと考えるのもその一例です。確率も,論理的な思考のトレーニングにぴったりです。ただしそれが,実社会と離れたもので終わってしまっては,もったいないことになります。「数学なんか学校を出たら役に立たない」と,数学が苦手な人,嫌いな人は昔から言ってきました。また,数学イコール計算という,無知あるいは悪意にもとづく矮小化もあります。これらの決め付けが,世の中の意思決定をゆがめている面は決して小さくないと思われます。