深い思考を邪魔するもの(2)

<この結論でよいのか疑ってみる>

 では本当に「仕事がないから」という理由で地方に住まないとして,つまり「地方に住まないのは仕事がないからである」というのが正しいとしよう。そこから言えるのは「希望する仕事があれば,地方に住む」なのか,それとも「地方に住むには希望する仕事があることも条件の一つ」なのか。これを考えてみるのも,内容の面で思考を深める一方法である。地方創生は近年の用語だが,似た構造はずいぶん前にもあった。携帯電話が急速に普及し始めたころ「携帯の電波が届かない場所では,若者は住んでくれない」という理由から自治体負担で基地局を整備することが各地で行われたのである。この理屈なら,「若者が住んでくれるのは,携帯の電波が届くところ」ということになる。しかし,これは「携帯の電波が届く場所なら若者が住んでくれる」というのと,同じではない。
  「なぜ携帯の電波が通じても若者は住まないか」というのを考察するのが一段深い思考というものである。これは「仕事があっても」でもいいし「立派な道路があっても」でもいい。このような指摘に対し「必死に生き残りを模索している地方を外野がおちょくっている」などと言ってしまうのが,浅い思考の典型である。カチンと来るような指摘があったとしても,それを乗り越えないと,本当に効果がある対策など出ては来ないはずである。
「なぜ若者は仕事があっても地方に住まないのか」を考察するのが深い思考である。

<方法を疑ってさらに深く>

  一方で,仕事を理由にしているが本当にそれが理由なのか,と考えるのも,深い思考の一方法である。たとえば,実際は,地方では人間関係がわずらわしいというような理由があったとしてもそのことは理由として挙げづらく,お金や仕事を理由にすることが誰も傷つけなくて済む理由にできる,という視点も考えられるだろう。もちろんこれは,何でも斜に構えてみよという意味ではないし,調査前から結論を決めているわけでもない。けれども高校生なら,「調査を論理的に設計したという意識が強すぎて他の理由に目を向けなくなる可能性」を考えたり,「人間は本当に常に合理的に思考するのか」という視点に立つことも可能である。(高校生にそれは難しいとすれば,生徒がこういう発想をすることに対し高校教師のほうが拒絶しがちであるという面も小さくない。
「人間は本当に常に合理的に思考するのか」を考えてもよい。

<必要条件と十分条件>

 地方創生に話を戻すと,「希望する仕事がなければ,地方に住まない」ということから言えるのは,「地方に住むには,希望する仕事が必要」ということだが,これは,「希望する仕事があれば地方に住む」というのとは違うわけだ。ここを冷静に(冷徹に)見なければ,「仕事をつくれば若者は住んでくれる」と考えてしまう(必要条件を満たしているに過ぎないのに,十分条件を満たすと勘違いする)ことになる。 高校生の思考レベルが小中学生のそれと異なるポイントはこの勘違いをしないことである。
 生徒がこのような勘違いをしていたら,「もう少し考えてみたら」と助言するのが高校教師の役割である。生徒が思いついたことを大切にする,という一見教育的な発想が,生徒の学びを深めるうえでブレーキになっているとしたら,いかにももったいないことだ。研究の方法を指導せず,内容の方向性に口出しする教師は,二重の意味で深い思考を妨害していると言える。
 教師の技量や度量は,生徒の思考の深さに大きく影響する。

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