合理的,というのも一筋縄ではいかないことに目を向けると,思考はさらに深まる。たとえば,鉄道が通ってなく主な交通手段がバスである町では,住民が自家用車で都市に行き来するのは大いに合理性がありそうだ。なぜなら,バス運賃は高く,本数は少なく,自家用車のほうが行動の自由が大きいからである。こういう町では,人口に対する自家用車の台数,特に軽自動車の数は多いと予想される。
 しかし,である。住民が「合理的に」自家用車を選ぶことは,バスをますます不便なものにする。すると町外に住む人がこの町に住もうとする可能性はどんどん低くなっていく。この町にもともと住んでいる人,他の町に引っ越せない事情がある人以外の人にとっては,バスに乗らない合理性は,その町に住む意味を見いだせないことの合理性となる。