アクティブ・ラーニングのブレーキ (1)  (2)  (3)  (4)  (5)

アクティブ・ラーニングのブレーキ(2)利己心

  ALのほうが楽と考える人がいる。たとえば,「覚えてなくてもググればよい」,「ドリルは不要」,「予習は不要」,「その場で思いついたことを言えばよい」等の思いこみである。あるいは「結果が同じなら楽なことがよいこと」という思い込み,あるいは「予習しなくても全部わかる授業が良い授業」という思い込み(これは教師側にもありうる)は多いと思われる。この状態では,ALは戦後の「這い回る経験主義」の失敗(あるいは10年くらい前の「AO入試の失敗」)を繰り返す可能性が大きいだろう。知識詰め込み型の中学入試を経た中高一貫校の生徒が科学オリンピック等で活躍することから推測できるように,知識なしでは発想も語彙も貧しいままである。むしろ圧倒的な知識を駆使することで新しい価値が生み出せるのではないか。
 ALは授業中にわいわいやればそれでいいわけではなく,むしろ,「一人でもできる学習は予習・復習時間に行う」ことも重要である。結果としてトータルの学習時間も増えるのである。 「楽だから好き」ではなく,「考えることが楽しいから好き」と思える人間でなければ,「グローバル社会に対応できる力をALで伸ばす」ということは実現できないだろう。答が一つではない中高一貫校の入学試験(相当苦労して作成しているはずである)に対して「要するにどんな答えを書けば高得点なのか手っ取り早く教えてほしい」とネット掲示板に書き込む親や受検生は以前からいる。グローバル社会のリーダーを育てようとする学校に入ろうとする人たちの,学校の目指す姿とはミスマッチとも言えるこの感覚をどうするかは,大きな課題だろう。
 ネットで検索して善意の回答者から答えをもらうことが,うまくICTを使っていると思う勘違いも少なくない。東日本大震災が起こる直前の2011年3月,京都大学入学試験で携帯電話を使ってネット掲示板で答えを求めた受験生がいた。震災の衝撃で人々の記憶から薄れているが,震災発生まで,連日大きく取り上げられていた出来事だ。大学入試センター試験に替わる新しい入学者選抜でCBT(Computer-based Test)が取り入れられることが予告されている。膨大な問題の中から個々の回答状況に応じてランダムに出題されるので同時実施でなくても,また年2回でも実施できるというが,そのためには,数千から数万題の問題ストックが必要になるという。それだけの数の問題が知的好奇心をかきたてるレベルで出題されればうれしいが,公務員試験の「判断推理」タイプになるのではないか,と懸念する。
 練習によって正解率を高められるような問題なら,「携帯で答えを教えてもらえないような入試でなくちゃね,やっぱり。」と思う人もいようし,そもそもグローバル化は望ましいのか,という疑問にも突き当たるかも知れない。
 入試を誘因として教育を変えることが日本では有効,という意見は多い。しかし,「日本の入試を変える」ことと「入試によって日本を変える」ことがどのように両立できるのか,鶏と卵の関係のようである。この改革によって誰が得をするのか,いや損得に関係なくやらなくてはならないのだ,等々,それ自体が「答えが一つではない問い」に挑んでいるとも言える。

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