英国の学校教育−−1993年・秋

(16)ダブリンへ

 10月30日(土曜日)。マンチェスターからエディンバラに移動し数日滞在した後,飛行機でダブリンに着きました。エディンバラは晴れていましたが,ダブリンは曇りで少し肌寒い天気です。

 11月1日(月曜日) 曇り。
 アイルランド教育省を訪問。インスペクター(視学官と訳すのでしょうか)のコナリー氏とオコンネル氏から説明を受けました。要約すると,

 義務教育は6−15歳。しかし4歳児の65パーセントは学校に行っている。小学校は6年で,カリキュラムは学科中心ではなく,生徒中心の合科学習である。重視されている科目はアイルランド語,英語,算数。他に社会環境,地理,歴史,自然がある。宗教は必須だが,中央政府は介入せず,学校にまかされている。全国で3220校の小学校があり,生徒は50万人,教師は2万人である。学校は午前9時から9時30分の間に始まり,14時30分頃終わる。学年は9月に始まり,6月末に終わる。年間の登校日数は184日である。
 中学校はジュニア(12−15歳まで)とシニア(15−18歳まで)がある。義務教育はジュニアだけだが,大部分の子はシニアまで行く。

 中学校には次の5つのタイプがある。
 (1)公認の私立学校(全体の60パーセントで,ほとんどはカトリック系)。建物は教会が所有し,教員の給料などの費用は国が負担する。
 (2)職業訓練学校(およそ25パーセント,現在はテクノロジー中心)
 (3)総合中学校(およそ5パーセント,1+2のような感じ)
 (4)コミュニティスクール(およそ5パーセント,(3)と同じだが,地域社会が所有している点が異なる)
 (5)コミュニティカレッジ

 以上の学校は,設置者や名称は違うけれども,中身は同じような教育をおこなっている。 中学校のジュニアサイクルではアイルランド語,英語,数学,公民科が必修,他に26科目のうちから3科目を選択。ジュニアの終わりに試験を受けてシニアに進む。シニアでは,アイルランド語,英語,数学は必修。他に多くの選択科目があり,どの科目も異なったレベルが用意されている。試験のための勉強が中心となる。大学に行くためには7科目の勉強が必要で,これはイギリスの3−4科目よりも多い。

 カリキュラムに関する限り,日本の教育はイギリスよりもアイルランドのそれに似ていると言えるでしょう。ここで注目したいのが,アイルランド語の扱いです。この国ではアイルランド語と英語の両方が公用語ですが,95パーセントのアイルランド人にとっては,母国語はアイルランド語でなく,英語だと言われます。現在アイルランド語を話しているのは西部の一部の地域だけで,そこには英語を教えない学校もあるそうですが,ほとんどの国民にとって,アイルランド語は非実用的なもので,ナショナル・アイデンティティとしてアイルランド語を残していこうとしているという説明でした。

 言葉というのは,民族を特徴づける重要な要素です。日本でも,外来語をあまり使わないようにしようという声がありますし,フランスで外来語をつぎつぎフランス語に直させているというニュースも最近ありました。しかしアイルランドの場合,かつての植民地支配国である隣国イギリスとの関係があまりにも強く,英語を使わないのは現実には不可能ということなのでしょうか。
 中学校のカリキュラムについては,審議会で話し合われます。そのメンバーは,小中一人ずつの親代表,教職員組合代表(3組合から2人ずつ,計6人),教会,大学の先生,一般の労働組合,経営者団体,文部省から成っています。「イギリスで文部大臣が一方的に親代表を選んでいるのにくらべ,アイルランドは民主的である」とコナリー氏は胸を張りました。  

 11月3日(水曜日) 雨のち曇り。
 ダブリン南東部にあるコミュニティスクールを訪問しました。ダブリンと書きましたがこれは英語名。アイルランド語ではBaile Atha Cliathという町です。
 校舎内は階段でなく,スロープになっています。床には緑のカーペットが敷いてあります。校長から学校運営について説明があったあと,2人の生徒が話をしてくれました。女の子(ローズマリー)と男の子(ティム)で,2人とも来年の6月に大学入試を受ける最上級生です。 

 まずローズマリー。彼女がとっている科目はアイルランド語,英語,数学,生物,家庭科,歴史です。大学では薬学か心理学のどちらかを学びたいとのこと。学校の科目はとても難しいと感じていると,控えめに語りました。好きな科目は生物と歴史で,歴史はアイルランドが英国から独立したことが特に好きで,生物は先生がとても好きだそうです。
 大学は生物でも受けられるけれど,薬学を学ぶなら入学してから化学を勉強しなければならないかも知れないと心配していました。またアイルランド語は,ダブリン大学やゴールウェイ大学では必須で,そうでないところもある。試験には詩,小説,口頭試問もあり,重い負担になっているにもかかわらず薬学にはあまり役に立たないとこぼしていました。

 次にティム。物理,経済,エンジニアリング,製図を選択しています。アイルランド語のみは普通クラスで,他はハイレベルのクラスだそうです。大学ではエンジニアリングを専攻したいので理科系の科目を多く選択しているわけですが,ダブリンのトリニティカレッジを目指しているのでやはりアイルランド語が試験にあります。1日4時間勉強しているけれど,入試の前なのでとてもプレッシャーを感じていると語るところなどは,日本の受験生と同じでした。ただ2人とも,日本の高校生よりもはるかに堂々としていて,照れずに自分の考えを述べるのはさすがだと思います。 

 さて,イギリスとアイルランドの微妙な関係は,教育の場以外でもあちこちで感じました。たとえば通貨は,どちらもポンドという単位です。しかし,イギリスポンドの方がアイルランドポンドよりも少し価値が高いために,アイルランドで買い物するときは,喜んでイギリスポンドを受け取ってくれるということがおこります。「喜んで」と書きましたが,これはあくまで経済上のことで,アイルランドとイギリスの歴史を考えれば,アイルランド人の心中は複雑なのではないかなぁ,と私は想像します。
 また,これは私たちのグループの一人が経験したことですが,ダブリンの両替所が閉まっていてアイルランドポンドへの両替ができなかったとき,マークス・アンド・スペンサー(イギリスのちょっと大きな町にはどこでもあるスーパーマーケット)でイギリスポンドのトラベラーズ・チェックで安いもの(たしかみかんでした)を買うと,元の額面以上のアイルランドポンドがお釣りとして返ってきたと言っていました。イギリスの経済もよくないけれど,アイルランド経済はもっとよくないことの現れのように思います。
 さらに,私は地図を集めるのが好きで,旅行するとその国の地形図と,その国でつくられている世界地図を買うことにしています。トリニティカレッジ近くの大きな書店でアイルランド製の世界地図はないかと尋ねたところ,調べてくれましたが,結果は「そういうものはアイルランドではつくられていない(イギリス製の世界地図ならあるが)」ということでした。
 しかし,アイルランドも負けてはいません。アイルランド製のアイルランドの地図を見ると,北アイルランドとアイルランド共和国の国境は普通の県境のように表示されているし,北アイルランド問題でよく登場するロンドンデリーは,アイルランドの地図では単にデリーとしか書いてありません。「ロンドン」をつけるなんてもってのほか,ということでしょうか。 

 1週間の滞在でしたが,イギリスとは違うアイルランドのさまざまな姿を見ることができました。次回から,また英国の話に戻ります。

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