10月24日(日曜日) 晴ときどき曇り。
マンチェスターの市内観光をしました。午前中は産業博物館を見学。産業革命初期の織機や蒸気機関など,この地域らしい展示物が文字どおり山のようにあります。面白いと思ったのは,トイレや下水道のコーナーでした。通路が昔の下水道を再現していて,合成された「におい」がただよっているのです。本物の下水道のにおいは知りませんが(入ったことないので),たぶんこんなにおいだろうなぁと思わせるにおいではあります。
ここは,産業博物館としてはヨーロッパ最大規模だそうです。1830年代の鉄道駅が再現されていてプラネット号という機関車が走っているかと思えば,飛行機や宇宙ロケットの展示もあります。びっくりしたのは,第二次世界大戦末期に日本が作ったロケット飛行機「桜花」があることでした。沖縄で連合軍が手に入れたものだそうです。
午後はグラナダテレビジョンのスタジオツアー見学。メークアップや特撮の解説など,カリフォルニアのユニバーサルスタジオを小型にしたような感じです。遊園地にあるモーションマスターというのもありました。これは映像にあわせて椅子が揺れるというもので,私が見たときはボブスレーの画面でした。その前の回に入った友人の時は宇宙船だったそうです。もっとも,迫力の点では九州の城島後楽園のもの(画面はジュピターという木製ジェットコースター)の方が私にはずっとこわかったです。
10月25日(月曜日) 曇り。
今日は英国で活動する日本企業訪問ということで,ブラザーインターナショナルを訪れます。ホテルから約30分,鉄道の線路を何度も越え,さびれた労働者街を通ったりして会社に着きました。
オフィスの入り口はガラス張りで明るい雰囲気です。階段を上がった会議室で説明を受けました。会議室といっても日本の会社のように廊下に沿って同じ部屋がいくつも並んでいるという感じではなくて,ブロックの壁がそのままむき出しになっています。蛍光灯のカバーも赤色でなかなかお洒落でした。
敷地内には部品センター,配送センター,修理工場もあり,倉庫の中には商品が高く積まれています。さまざまな国に発送されるので,たとえばワープロのカセットリボンの箱には「CASSETTE
RIBBON, RUBAN CASSETTE, FARBBANDKASSETTE, CINTA CASSETTE, NASTRO IN CASSETTA,カセットリボン」と6カ国語で表示されています。最初の3つは英語,フランス語,ドイツ語と想像がつきますが,その次の二つはいったい何語なのでしょう。イタリア語とスペイン語のような感じがしますが・・・。
案内してくださったのは押谷さんです。日本人社員は全部で14人,社長の田崎さんは1958年からイギリス在住,そのほかにも10年以上在住の役員の人がいます。日本から来た社員の駐在期間は技術者で3年から5年,事務系では5年以上とのことです。
ブラザーは日本ではミシンの会社というイメージが強いですが,海外ではタイプライターのイメージが強く,最近はファクシミリにも力を入れているとのことです。ほかには,キングジムが販売しているラベリングマシンはブラザーが生産しているし,コンピュータソフトウェア販売機の「タケル」とか,ジョイサウンドという会社が販売しているカラオケシステムもブラザーだとか。ヨーロッパ全体としての会社名はBrother International Europe(B.I.E)ですが,英国法人の社名はJones and Brother U.K.で,これはJonesという販売会社を買い取ったのでその名前を残しているとのことでした。これも現地の社会にとけ込む方法の一つなのでしょう。企業として地元へどのように貢献しているか,一番に挙げられたのがサッカーチームのスポンサーになるということでした。さすがイギリスですね。あとは雇用を創り出し納税することが貢献だと言われました。
子ども連れで駐在する場合,一番気になるのはやはり子どもの教育だそうです。子どもたちは全員,月曜日から金曜日までは現地校に通い,土曜日の10時から13時にマンチェスターの日本語補習校に通います。現在の子どもの数は98名。100名を超えると日本の文部省から教員が派遣されてくるそうです。押谷さんは「みなさんの中からぜひ来てください」と言われました。行きたいなぁ…。
補習校を運営しているのは北西部日本企業会です。33社157名が加盟しています。補習校で使う教科書は文部省からもらっていて,あとは通信教育の教材を小1から中3まで使っています。そのほかの教材は各企業や家庭で対応しているそうです。
子どもたちが現地の学校に通う場合はどうするのでしょう。日本と違って戸籍というものがあるわけではないので,近所の学校に行って校長の許可をもらえば入学できるのだそうです。多くの移民を受け入れてきたこの国ですから,少なくとも日本よりはずっとスムーズに子どもたちはとけ込んで行くのでしょう。親としては日本語も勉強しながら英語も忘れてほしくないと言われます。これは正直な気持ちでしょうね。
そして,駐在期間の終わりが近づくと,今度は日本に帰ってからの教育が気になりはじめます。特に,数年以上前に日本を離れた人にとっては,帰国子女の受け入れ現状がどうなっているのか,わからないことが多いようです。今回の私たちのグループは全国から集まった小中高校の教員20人なので,わかる限りのことを話しました。
たとえば私は広島県ですが,帰国子女の増加にともない,すべての県立高校に2名ずつの枠が設けられているほか,帰国子女の多い地域にある2校(海田高校と安芸府中高校)にはそれぞれ10名の枠があります。地理を担当する私の元同僚がそのうちの一校に異動し,国際科で「地域研究」という普通の学校にはあまりない科目を担当したり,外国から突然教員が訪れることもあったりと,面食らうこともあると話していました。また,ブラジルやペルーからの日系人労働者の増加で,その子どもたちが小学校に通うケースが増えていることから,小学校で独自にポルトガル語の日常会話集を作ったりということもでてきています。このように,学校での国際化は,ある時は意図的に,またある時は必要に迫られて,少しずつ進んでいるのだと感じます。