英国の学校教育−−1993年・秋

(6)映画館

 学校研修がやっと2日終わりました。火曜日の放課後は映画に行こうと,ホームステイ初日に決まっていたのです。ハリソン・フォードの「???」は観たかと聞かれたので,原題は聞き取れなかったけれどたぶん「逃亡者」のことだろうと思い,「まだ観てません」と答えたのですが,やはりその通りでした。あとで辞書を調べると「THE FUGITIVE」だとわかりました。
 学校からいったん家に帰り,デンシレンジで温めたチキンマサラ(カレーのこと)の夕食を食べました。デンシレンジというのは,オリバー先生のお宅に8年前にステイしたカナコさんという女性が教えてくれた日本語だそうです。

 午後6時に車でプレストンの映画センターに向かいました。映画センターにはボーリング場もあればマクドナルドもあります。映画の料金はというと,月・火曜はファミリーデイで終日1.50ポンド,他の日でも午後6時までが1.50ポンド,以降が2.40ポンドという値段でした。
 これは,信じられない安さです。「日本では10ポンドします」と言うと,誰もが言葉を失っていました。しかし,あとで少し「しまった」と思ったのも事実です。というのは,このときの為替レートは1ポンド=160円くらいだったのですが,1年前には250円くらいだったそうなのです。「だったそうなのです」とはイギリスへの無知丸出しで恥ずかしい話ですが,こういう形でイギリスに来ると予想もしていなかったので,当時の認識はその程度のものでした。私は「1600円だから10ポンド」と単純に計算してそう言ったのですが,英国の人にとっては「日本の映画は2500円もするのか」と思われたのではないか,とあとになって思ったのです。

 さて映画館は,いろんな映画が同時に上映されていて,入り口で希望のチケットを買う仕組みになっています。日本よりもずっと大きく明るい映画センターです。ポップコーンを買って「THE FUGITIVE」に入りました。座席は,30人の20列くらいです。席は半分以上埋まっていて,私たちは前から5番目にやっと空席を見つけることができました。腰を前にずらして巨大な画面で楽しみました。この映画はとてもエキサイティングで,字幕なしでも十分楽しめます。
 映画が始まる前には予告編や映画館内での迷惑行為禁止のPR(アニメーション)があります。ちょうど「ライジング・サン」の予告があったので,「日本ではこの映画を観られないかも知れない」と言うとパットに「なぜなの」と聞かれました。私は「日本人が人種問題あるいはジャパンバッシングを感じるからだと思う」と答えました。機会があれば英国で観ておきたいと思ったのです。
 映画がとても楽しかったため,夜8時45分に映画館を出たときにはなんだか外国にいる気がしませんでした。
 次の火曜日には同じ映画館で「ジュラシック・パーク」を観ました。面白いのは面白かったのですが,スピルバーグとしてはやや陳腐な感じもしましたし,SFXがまだ少しちゃちな印象がありました。 

 そして11月になって,やっと「ライジング・サン」を観に行ったのです。この映画のことは,アメリカで封切られたときの様子が日本に報道され,日系あるいはアジア系市民への偏見を助長するという意見があったことを思い出します。話のあらすじは,以下の通りです。

 タイトルでは「昇日」という漢字が登場します。「これはライジング・サンの直訳で,本当の日本語ではアサヒとかヒノデと言うんですよ」と,一緒に観ていたアランに説明しました。
 舞台はアメリカ。映画はカラオケの場面から始まります。そしてナカモト・コーポレーションという日本系大企業の高層ビルの会議室でマイクロコムという米国企業を買収する交渉が行われている最中に下の階で白人女性が絞め殺されるという事件が起こるのです。刑事と探偵(ショーン・コネリー)が捜査を始めたところ,ビルのセキュリティシステムのレーザーディスクにモニターカメラの画像が記録されていることがわかりました。そこから,サカモトという日本人が犯人だろうと推理し,彼を追いますが,サカモトが車で逃げる途中に車が炎上してしまいます。ところが実は彼は死んではおらず,死んだのはビルの保安責任者だったのです。
 コネリーは捜査のために日本語を覚え,日本食を食べ着物を着て日本人の感覚で生活しようとします。相棒の黒人刑事はコネリーのことをセンパイと日本語で呼びながら捜査をすすめていきます。レーザーディスクの解析をしたのは,日本人女性と黒人男性との間に生まれた女性研究者でした。
 そして画像を解析すると,別のカメラの画像(カメラは4台あり,1画面が4分割されている)が作り変えられて人間が歩いているのが消されていることがわかりました。その,歩いている男がサカモトだったのです。コネリーたちはサカモトからパスポートを取り上げてしまいます。その後に,サカモトが白人女性を裸にしてスシをのせて食べるという,マスコミでも取り上げられた場面があり,サカモトは結局ナカモトに雇われたヤクザに切られて死んでしまいます。彼はナカモト・コーポレーションのライバル会社の回し者だったのです。

 レーザーディスクをさらに解析していくと,ディスクがすり替えられていることがわかりました。もともとこのディスクは,会社の通訳が持ち込んだものですが,会社のためにディスクの画像を作り変えていたのです。そしてオリジナルのディスクを調べると,最初に首を絞められたときには女性は死んではおらず,次に入ってきた別の男性(上院議員)が絞め殺したことが明らかになるのです。その過程で刑事が拘束されて尋問されたりします(真実に近づいたために圧力がかかったということでしょう)。最後には上院議員がコンクリートミキサーの中に落ちて死に,コネリーはナカモト・コーポレーションの吉田社長と一緒にゴルフに行くのです。黒人刑事がこの女性研究者をデートに誘ってふられるところで映画は終わります。

 この映画を観る前,私は新聞やテレビの報道から,本当の日本の姿を知らない人が作った映画ではないかと思っていました。確かに,カラオケやスシの場面など,日本文化の一部分を誇張して描いている部分もあります。日本人は会社のために生き,そして死んでいくと言いたいのかなとも感じました。またハイテクの部分で日本と激しく競争するアメリカのいらだちが表れているとも思います。
 しかし,この映画の制作者は,日本のことを知らないどころか,日本人あるいは日本という社会を分析したうえで,この映画を観た日本人が「人種差別だ」と言うかも知れないということを十分計算していたように思うのです。それを一番感じたのは,女性研究者のところを黒人刑事が訪れたとき,研究者が刑事に対して「私の父はアメリカ空軍の軍人で,母はダンサーだったの。あなた,被差別部落民って知ってる?」と聞いた場面でした。 

 字幕のない映画を観ていたわけですから,細かいニュアンスは伝わらないかも知れません。しかし,「日本人はアメリカが偏見を持っていると言うが,自分自身はどうなんだ?」という制作者のメッセージが聞こえた気が私にはしました。そして「国際化」という言葉の中身を問われているようにも感じたのです。

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