1985年9月,日・米・英・仏・西独が,為替相場を円高に誘導することで合意した。背景は,日本からの輸出が多すぎて貿易摩擦を招いているため,日本の輸出に不利な状況(円高)をつくろうとしたのである。この会議はニューヨークのプラザホテルで行われたので「プラザ合意」という。
日本政府は,輸出から国内需要(内需)を拡大するため,超低金利政策をとった。1987年から1989年にかけての公定歩合は2.5%という低い水準だった。この結果,銀行に預金しても利息が大して付かないので,土地や株を買って値上がりを期待する動きが強まり,株価・地価の異常な値上がりを招いた。いわゆる「バブル経済」といわれるものである。その実態は株・土地という資産のインフレであった。
1990年代から2000年にかけて日本経済は不況からなかなか抜け出せない状態が続き「失われた10年」などとも言われた。企業や銀行はバブル期に高く買った不動産が値下がりしたり,担保価値がなくなって回収の見込みがなくなった「不良債権」の処理に苦しんでいる。2000年代に入り,失業率は5.0パーセントにも達している。また,経済活動が世界的規模に拡大するなかで,外国資本や外国人経営者の増加も目立っている。「不況には公共事業」というケインズ流のやり方に限界が見られ,東京への一極集中ともあいまって,地域や産業によってさまざまな格差が拡大する可能性もある。
従来の企業グループや国の枠を超えた,生き残り競争がいっそう激しくなっていくといえよう。