戦後の三大経済民主化と言われるものは,
1.労働運動の育成
2.農地改革
3.財閥解体
である。いずれも,国内の購買力を大きくすることにつながった。ただし,農地改革の結果として,農家の経営面積はかえって零細化した。
戦後の経済再建では,限られた資金や原材料を有効に使うために,傾斜生産方式がとられた。これは,石炭や鉄鋼のような基幹産業に重点的に投資するものである。そのために,復興金融金庫という政府系金融機関がつくられ,ここが復興金融金庫債(復金債)を発行して,石炭や鉄鋼産業に融資した。復金債の実質は赤字公債であり,これを日本銀行が引き受けたため,通貨増発につながり,戦争による物不足とあいまってインフレを激しくした。物価は4年で100倍になった。
1949年,このインフレを収束させるためにとられた政策が「ドッジライン」である。これはアメリカ人ジョセフ・ドッジが打ち出した経済安定計画で,戦後日本のインフレ収束と,貿易振興による経済の自立をめざしたものである。内容は,赤字国債の取りやめ,復金公庫融資の停止,低米価・低賃金政策,単一為替レート(1ドル=360円)などであった。インフレ収束には効果を上げたが,生産は停滞し,不況となった。
1950年におこった朝鮮戦争により,鉱工業生産は急回復し,1951年には戦前水準を上回った。なお,統計資料で「戦前水準」というのは,通常,1934年−1936年の平均を指している。