金融の自由化とは,金利の自由化,金融機関の業務枠の自由化,金融の国際化のことをいう。
かつての日本では,政府が金利を規制し,金融機関の業務の垣根を明確にしてきた。大蔵省の指導により,金利や分野(銀行,証券,保険など)ごとの業務内容を細かく規制し,金融機関どうしの過当競争を防止してきた。そうして,口を出すかわりに,経営危機の時には国が救済してやって,銀行がつぶれないようにしてきた。大蔵省などから金融機関などへの「天下り」が多いのは,そういう「パイプづくり」の意味合いをもってきた。
このように日本では,銀行間の競争が激しくないため,預金金利が低く設定され,銀行から企業への貸出金利も低い。いっぽうアメリカは,預金金利が完全自由化されているため預金金利が高く,したがって企業への貸出金利も高い。そのため,日本の銀行から低い金利で融資を受けるアメリカの企業も多く,アメリカから日本の金融政策に対する批判が出された。
1983年に設置された「日米円ドル委員会」は日本に対し,金融市場開放と規制撤廃を要求した。また日本国内でも,金融自由化を求める動きが強まった。市中金融機関は政府から国債販売を割り当てられたが,引き受けた大量の国債を市中への売却で完全消化しきれなくなり,国債を自由に購入できる市場環境の整備を要求したのである。
預金金利の自由化はしだいに進み,1994年に完了した。また業務の自由化も,銀行が証券子会社を設立するなどの方法で,進行した。このように,金融の自由化によって金融機関どうしの競争は激しくなっている。元本1000万円とその利子を超える預金が保護されなくなる「ペイオフ」も2002年春に定期性預金について解禁された。経営の失敗によりつぶれそうになっても,もう国は助けてくれないという状況になりつつある。金融機関の経営責任や,預金者の金融機関を選ぶ目も大切になっている。もっとも,「大銀行ならつぶれないだろう」と単純に考えて中小金融機関から大銀行に預金を移したために,本当は問題なかった金融機関の経営に影響が生じるようなことも起こりかねない。大銀行だって,絶対安心という保証はどこにもないのだ。