英国の学校教育−−1993年・秋

(25)Quality of life

 11月15日(月曜日) 晴れて寒い。
 今日は,先週金曜日に続いてLytham St.Annes High schoolに行きます。ここは,私がホームステイしているアランが以前に教えていた学校で,今も友人がたくさんいます。特に政治学のゴードンはアランの親友で,私の専門が政治・経済ということもあり,先週の金曜日にも彼の授業をたくさん見せてもらいました。
 「放課後にSt.Annesのミッドランド銀行へ行きたい(私が持っているトラベラーズチェックはこの銀行なら手数料がいらないからです)」と言ったあと「(学校から離れているので)もし銀行に間に合わなかったらゴードン銀行から借りなくては」とつけ加えると,彼は首を振りながら「おれはスコティシュだからけちだよ」と真顔で言います。「ジョークではそういうことになってますね」と言うと,「それは本当だよ」と笑いながら言いました。
 それが印象に残っていて,イギリスに手紙を出すとき,たいていの場合は国名をEnglandと書きますが,ゴードンあてのはU.K.としています。ゴードンが住んでいる場所(ブラックプール)はイングランドなのですが,どうも気になるのです。

 さて,午前の最初の授業は,6thフォームのドゥ先生の経済学でした。ポンドがドイツマルクに対して価値を下げていった(つまり円安ならぬポンド安)の歴史を振り返ります。この頃,1ポンドは約2.75マルクでした。国民所得の計算の話(日曜大工など市場で取り引きされないものは国民所得に算入されないとか,公害を減らすための投資も国民所得を増加させるとか,高負担高福祉のスウェーデンの例)は,日本の高校の政治経済の授業を思い出しました。ただ,大きな違いは,このクラスは男子3人女子5人の計8人しかいないということと,6thフォームの選択授業なので社会科学に興味のある生徒ばかり(のはず)ということでしょう。 

 日本から来た私がいるということで,先生から質問がありました。その質問というのは,「イギリスと日本とをくらべてみて,Quality of lifeはどちらが高いと思うか」ということです。イギリス人にしてみれば,「日本は最近成り上がってきたけど,昔のイギリスはすごかったんだぜ」とでも言いたいところかも知れません。
 この話題で私がすぐ思いだしたのは,下水道のことです。下水道というのは英語でsewageといいます。発音はスーゥィッジで,本来は汚水という意味ですが,下水道という意味でも使われます。この時には単語は覚えていたものの発音がなかなか難しくて,何回か言ったのに先生にはわかってもらえず,ほかの生徒が言い直してくれてやっと通じたほどです。
 「イギリスでは下水道が整備されているけれど,日本では今必死で造っています。だから,日本は外国で思われているほど豊かではないです」と言うと,先生は「この国の下水道がよく整備されているって?」と驚いたような表情を見せましたが,田舎に行っても下水道が整っているのは確かに日本とは大違いです。もっとも,100年前以上のイギリスの都市では汚水を家から道路に投げ捨てたりして大変不潔で,環境が悪すぎたために下水道の建設が進んだといわれていますから,遅れてスタートした日本の方がいい下水道ができるということだってありうるかも知れません。

 先生は下水道だけでは納得してくれません。「では日本の方が質が高いのはどんな点か?」と聞くので,私はちょっと考えてしまいました。品物がたくさんあり選択のチャンスが多いとか,テレビのチャンネル数が多いことなどを話したのですが,あとで考えるとこれが生活の質と言えるかどうかは疑問です。なぜなら,「多い少ない」で表すのは,普通は質ではなく量ですから。
 日本の方が質の高いことは何があるだろうと今になって考えてみても,胸を張って「これだ」と言えるものはなかなか思いつきません。たとえば「日本はイギリスより安全だ」と言うこともできたかとは思うのですが,それは日本が閉鎖的であることの反映かも知れない,などと考え始めると,いろんなことが頭に浮かんでくるのです。 

 そのあとYear7の歴史の授業(中世の城と教会)を見て,午後はゴードンの6thフォーム7の政治学(英国国内のナショナリズム)と教育実習生ジョンのYear9の歴史の授業でした。
 ゴードンの政治学は,現代のイギリス国内のある国家主義政党を例に挙げ,ほかの国家主義政党とのイデオロギーの違いを考察するというものでした。生徒は3人ということでしたが,そのうち一人が欠席で,今日は男女一人ずつしかいません。
 自分は労働党支持だと公言するゴードンですから,国家主義政党に対しては批判的なわけですが,あくまで冷静に事実を分析していきます。同じような授業を日本の高校で行うことは不可能でしょうが,この手法自体は参考になりました。たとえば日本の学校の「政治・経済」でいうと,社会主義とか自衛隊などのように,判断の難しいテーマを扱う場合があります。授業者が自分の信念を持っているのは当然としても,それを生徒に押しつけることはできないわけですが,用語の説明や抽象的な言葉の羅列だけでは,「社会科はおもしろくない」という定説をますます強化するものになってしまいます。

 具体的事例をとりあげながら,しかもそれを格別肯定も否定もしない,というのは難しいことです。これまでの日本の学校では,自分の考えを持つことよりも,知識を多く持つことが評価されてきたし,社会科に限らず,たとえば宗教に関することがらも,これまで避けすぎていたようにも思うのです。そして大学に入るとがらりと変わり,教師は自説を一年中話しているというように,高校と大学の違いが顕著です。
 それに比べるとイギリスでは,Year11と6thフォームの差が大きく,同じ敷地内にあって教師も共通なのに6thフォームになるとがらりと様子が変わってしまいます。イギリスの大学進学率が15パーセントくらいというのを聞けば,納得できる気もします。

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