4.日本経済の諸問題

(2)戦後の日本経済

b.高度経済成長期

 日本の高度経済成長とは,1955年から1973年にかけて実質GNPの伸び率が年平均10%にも達した時期をいう。高度経済成長期をさらに前半と後半に分けると,1955年から1964年までの前半期は「先進国の仲間入りをするまでの時期」であり,後半の1966年から1973年までは「経済大国とよばれるようになる時期」である。なお,1964年に東京オリンピックが開かれるが,この年後半からは本格的な不況におちいり,1965年まで続いた。政府は不況克服のために公共投資の拡大をはかり,その財源として戦後初めて国債を発行した。

高度経済成長の要因として次のようなことがらがあげられる。

(1)民間設備投資の急増(特に前半期)
 分配国民所得のうちで,雇用者所得以外の「企業所得・財産所得」の割合が大きかった。欧米の2倍の投資率で重化学工業化を推進した。1959年から1964年までの設備投資の率は日本28.7%に対し西ドイツ19.5%,フランス15.1%,イギリス13.5%,アメリカ12.1%であった。1961年の経済白書は「投資が投資を呼ぶ」状態と記している。

(2)間接金融方式
 日本では,欧米各国にくらべ貯蓄性向が高い。欧米が10%前後なのに対し,日本は約20%である。そのため,銀行資金が豊富で,銀行は低利で貸し出しを盛んに行った。そのため,常に貸し出し超過(オーバーローン)の状態となるが,日本銀行が資金を追加供給して支えた。オーバーローンとは,預金残高に対して貸出残高のほうが上回っているために恒常的に日本銀行から資金を借り入れている状態のことをいう。経済活動が活発なときに見られ,日本の高度経済成長期がそうだったが,現在は解消している。

(3)政府の産業保護政策(特に後半期)
 産業基盤(道路・港湾など)の整備を積極的に行った。例えば,1963年から1965年にかけて,新産業都市・工業整備特別地域が指定され,工業開発を中心とする地域開発が進められた。

(4)国際的要因
 安い原油が安定的に供給された。1ドル=360円の固定為替相場であったことも輸出促進につながった。当初は1ドル=360円では円高であったが,日本企業の生産性や品質が向上し,かつては300円で作っていた1ドルの品物を250円で作れるようになると,その差の50円が利益の増加分となり,輸出を促進した。

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