1.経済体制

(2)資本主義の歴史と経済思想

a.資本主義の発達

 「経済」とは,財やサービスを生産・分配・消費する活動をいう。

 財とは形のある「もの」のこと。例えばおにぎり,柿の種,石臼など。←これは,「さるかに合戦」の登場人物(?)。昔話には,経済活動がいっぱい詰まっているのだ。
 サービスとは,形のない「はたらき」「用益」のこと。たとえば「モンキー・柿もぎ社」とか,「お猿のかごや」など。サービスの特徴は,生産と消費が同時に行われて,保存ができないことだ。

 財やサービスを生産するうえで必要な要素がいくつかある。生産手段や労働力がそれである。生産手段は,土地・建物・機械・鉄道・鉱山・通信などのこと。生産手段を所有することは,生産において決定的な強みとなる。生産手段を,誰が,どのように所有するかは,時代によって変化してきた。

 経済社会は,奴隷制社会→封建制社会→資本主義社会と発達してきた。
奴隷制社会=古代ギリシャ・ローマなど。奴隷所有者−奴隷という支配関係

封建制社会=中世ヨーロッパなど。領主−農奴という支配関係

資本主義社会=イギリスに始まる。資本家−労働者という生産関係

なぜ最初にイギリスで資本主義が成立したか? それは,資本主義が成立する条件がイギリスに揃っていたからである。 

資本主義成立の条件は

(ア)資本の本源的蓄積が進む
(イ)マニュファクチュアの発達
(ウ)産業革命の進行


(ア)資本の本源的蓄積が進む とは
 囲い込み運動(第一次と第二次がある)により,農民が土地を失い,その多くは都市に移って賃金労働者となった。このように,生産手段を持つ資本家と,生産手段を持たない賃金労働者の分離が進んだことを資本の本源的蓄積という。
 この時期の絶対王政のもとで,特権商人は貿易の独占や国内市場の統一を望んで国王と結び商業資本家となっていった。イギリスやオランダの「東インド会社」はその典型例だ。絶対主義の下で貿易による貨幣増加を重視した特権商人保護政策を重商主義という。なお重商主義に反対し農業労働が国富の源泉だとする考えを重農主義といい,フランスのケネーが主張した。

(イ)マニュファクチュアの発達  とは
 商人が生産者に資金や原料を前貸しして生産を行わせるのが問屋制家内工業。のちには熟練工が工場で分業と協業によって生産を行う工場制手工業(マニュファクチュア)が発達した。この時期の資本主義を商業資本主義という。

(ウ)産業革命の進行 とは
 18世紀後半から19世紀前半にかけての産業革命で,工場制機械工業が発展した。道具でなく機械を使うことで熟練工でなくても工場労働が可能となり,女性や年少者が低賃金で雇われる条件が生まれた。産業革命以降の資本主義を産業資本主義という。

 産業資本主義

 産業革命以降19世紀中頃までの時期の資本主義のこと。強大な企業がまだ存在せず,多くの小企業が自由競争を繰り広げていた。この時期の経済学者の代表はアダム=スミスで,主著に「諸国民の冨(国富論)」(1776年)がある。国家が経済に介入せず「自由放任」すれば,「神の見えない手(invisible hand)」によって調和がもたらされると説いた。いわば,がんばれば何とかなった「右肩上がりの高度成長時代」だったので,こんな楽観主義が通用したわけだ。この時期の経済学者には他にリカード,ミル,マルサスらがおり,古典派と呼ばれる。

(ここが問われる)
各経済学者の思想(経済学説の流れ)

 独占資本主義の段階

 19世紀後半から20世紀初頭にかけての資本主義のこと。19世紀後半に進行した技術革新や大量生産システムには,多くの費用が必要である。その資金を準備できる大企業だけが競争に勝ち残った。その資金は銀行を通じて供給される。銀行は貸付利子で儲けているので,どうしても多く貸し付けようとし,その結果,生産設備が過大となり,生産過剰の傾向が生じる。生産過剰により不況が発生する。また生産した商品の全てを国内市場で売りさばくことはできないので,国外市場を求めて植民地を拡大しようとする動きが強まった。独占資本主義のことを帝国主義ともいうのはそのためである。

 修正資本主義

 1929年10月24日(木曜日),金融の中心だったニューヨークの株式市場(ウォール街)で株価が暴落した。金融業界のトップたちはそろって買い支えをおこない,フーヴァー大統領は「わが国の経済活動は健全」と発表した。だが翌週29日,再度の大暴落が起こり,世界大恐慌が始まった。
 なぜアメリカから大恐慌がおこったか
 世界的な農業不振で農民が痛手を受けた,高関税政策のため国際貿易の流れが妨げられ工業製品が生産過剰になったこと,世界の余剰資金がアメリカに集中してそれが土地や株式の投機に使われたことなどが理由である。

 世界中の貿易額は1929年から1933年にかけて3分の一に縮小した。失業者は全世界で5000万人,アメリカでは4人に1人が失業した。それまでの「自由放任」政策ではもはや乗り切れないと考えられた。
 米国はニューディール政策とよばれる公共事業をおこなった。TVA(テネシー河谷開発公社)が特に有名。ダムを建設し,農業用水に利用したり発電に用いた。
ドイツはアメリカの資金で第一次大戦後の復興を進めようとしていたため,恐慌でアメリカ企業が資金を引き揚げた影響が特に大きかった。この頃ヒトラーが政権を握り,軍備拡大を進めた。

 ニューディール政策を支えた「ケインズ理論」

 大恐慌以前の経済学では,「供給の拡大により経済が発展する」という考えが一般的だった。(セイの法則または販路説という)。「安くてよい品物なら売れる」という考えである。しかし大恐慌により「つくっても売れない」状態が出現した。失業したりお金がないから,買いたくても買えないのである。
 ということは,仕事をつくり所得を保障すればものが買えるようになるはずである。政府の力で「完全雇用」を実現し「有効需要」をつくり出す必要がある,というのがケインズ理論である。有効需要とは,ただ単に欲しいと思うだけでなく,実際にお金の支出を伴う需要のことをいう。公共事業を行うとなぜ有効需要が増えるかは,以下の例で理解しよう。
 新しいダムを造るとする。ダム工事で働く建設労働者の仕事が増え,所得が増えるのはすぐわかる。それだけではない。ダムの材料である鉄やセメントもその分売れることになるから,それらの産業の労働者も所得が増えるはずだ。また工事現場で使われる自動車の需要や,工事現場近くの食堂の売り上げも増えることが期待される。所得が増えたら人はどうするか? 増えた分のいくらかは消費に回すはずだ。(ボーナス日の夕食でステーキを食べるように)。例えばパンを買う量を増やせばパン会社の売り上げが増える。パン会社の労働者の所得も増え,その分また別の消費に回す,,,というように,効果は全産業に広がる。
 さて,ケインズの経済学は,それまでの経済学の常識をひっくり返すもので,ケインズ革命とまでよばれ,大きな影響力をもった。
 が,何十年かたって,その有効性に疑問を持つ説も広がった。例えば,「景気がよくなっても政治家の人気とりのために公共事業をたくさん行うので財政赤字が拡大する」などという批判がそれである。
 ケインズ批判の経済学として「マネタリズム」「サプライサイド・エコノミクス」などがある。マネタリズムとは,貨幣の重要性に着目した理論のこと。例えば,貨幣供給量の増大の結果として物価上昇がおこると考える。貨幣供給量の増加を一定にする政策や,市場メカニズムを優先することを主張する。ケインズ流の政策を批判する立場で,しばしばケインズ革命に対する「反革命」とよばれる。代表はフリードマンで,彼はケインズ流の有効需要拡大策がインフレを引き起こすと考えた。
 サプライサイド・エコノミクスとは,その名の通り供給側(生産側)に視点を置いた理論で,生産意欲を増すために減税を行い市場を活性化すべきだという「小さな政府」の考え方に立つ。1980年代のアメリカ・レーガン政権の経済政策(レーガノミックス)などがそれだ。

(ここが問われる)
独占資本主義成立の経過(資本主義の特徴である競争の結果,競争のない状態が生まれた!)
ケインズ理論の内容
反ケインズ派の主張する内容

ケインズこぼれ話

 彼は主著「雇用・利子および貨幣の一般理論」でノーベル経済学賞を受けている。彼はイギリス人で,ケンブリッジに住んでいた。ケインズ理論が成り立つためには「ハーベイロードの前提」が必要だ,という人もいる。ハーベイロードはケンブリッジの通りの名で,「(ケインズみたいな)立派な人でないとこの政策はうまくいかない(人気とりする政治家ではだめ)」という,反ケインズ派からの皮肉だ。

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